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「こんな事があるのか。」そんな思いが率直な実感です。

今年の夏、少年野球が全国大会出場を決めると、続いて中学生のリトルシニアも、さらには成人の軟式野球でも全国大会に出場が決定。

その上、浦安で生まれ育った中央大学四年生の阿部慎之助君が、シドニーオリンピックにキャッチャーとして選ばれるといったうれしいニュース。

そこに東海大学付属浦安高校が一八年ぶりに甲子園出場を決めたのです。

野球関係者にとってすべての世代で、全国、世界の晴れ舞台での活躍といった快挙に酔いしれました。

結果も、少年野球がベスト八、リトルシニアが全国優勝を果たし、延岡学園戦から、智弁和歌山戦の決勝戦まで、浦安だけではなく全国を興奮のるつぼとさせた二〇世紀最後の夏の甲子園では、東海大浦安が見事に準優勝という栄冠を手にしました。

七月二八日、ほとんどノーマークに近かった東海大浦安が、千葉県一七一校の代表の切符をかけて、対木更津中央高校との決勝戦進出との朗報が飛び込み、私も予定の一部を変更して、急遽千葉マリンスタジアムに駆けつけました。

そこで初めて見た東海大浦安の選手たちは、対戦相手に比べて一回り小さく、体力的には押され気味が見てわかりました。

しかし、体力面をカバーするチームワークの良さと、練習量の豊かさに、隣で観戦していた兒玉校長が一言。「今年のチームは安心して見ていられます。」

そして、一躍話題を集めた「背番号四のエース」。大会の一カ月半前までセカンドを守っていた内野手から、急造エースへの転身。それがまさか決勝戦まで強豪チームばかりを相手に五試合、計六四七球の熱投を演じてくれました。

しかし、その裏には連投に次ぐ連投で、肩と肘をだいぶ痛めたようです。

猛暑の甲子園でただ一人長袖の黒のアンダーシャツを着ていたのは、肘のテーピングを隠すためだったとのことです。

文化会館での壮行会で、森下監督が「五戦すべてを戦ってきます。」と、静かに決意を述べたとき、そのあまりにもあっさりとした表情を見て、これはひょっとしたら、と密かに期するものを感じましたが、現実のものとなって全国四、一一九校の中で準優勝という輝かしい成績をあげるとは思ってもいませんでした。

甲子園でも、何人かの方から「浦安はディズニーランドだけではないのですね。」と言われました。

日本中に爽やかな感動を与えてくれた選手の皆さんに心から拍手を送ります。

森下監督、そして浜名主将はじめ選手の皆さん、お疲れさまでした。

浦安市長 松崎秀樹
(広報うらやすNo.675 2000年9月1日号に掲載)

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