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原爆の語り部

終戦から57年目の暑い8月がやってきました。

中学2年生、多感な13歳の少年が、爆心地から800メートルの地点で被爆。

「助けに来るまで、待っとこねー。」長崎弁で被災直後、友達と励ましながら為す術もなく、ぼう然とする有様が、静かな語り口で語られはじめると、150人近い聴衆は咳払い一つなくシーンと引き込まれていました。

今年の非核平和事業として、長崎市の協力で「被爆の語り部」を招き、一人でも多くの市民に原爆の悲惨さを直接語ってもらおうと「被爆体験講話」を企画したものです。

7月7日WAVE101の大ホールでの体験講話は、私にとっても表現しようのない、体験のみが持つ「重さ」を、原爆の悲惨さ、戦争の非情さ、被爆の無念さとともに感じました。

それは、聞いた多くの市民も感じたようで、1時間30分の体験講話の後、何人もの方から、衝撃と感動の感想を聞きました。

今年70歳になる「語り部」吉田勝二さんは、空襲警報の解除後、空から落ちてくる2個の落下傘を友人たちと手をかざして見ていた時に、爆音とともに原爆が炸裂。

想像を絶する2800度の熱風で一瞬にして40メートル吹き飛ばされ、気がつくと右半身に大やけどを負い、血と油と泥まみれで田んぼの中にいた被爆時の話から、「夏の暑い日差しの中での引きつる大やけどの皮膚」、「顔中にわく蛆を箸でつまみとるお母さん」、「局部麻酔で行った腰の皮膚の顔への植皮手術の2度の失敗」など、想像を絶する被爆体験にもかかわらず、ユーモアを交え笑いを誘いながら静かに切々と語ってくれました。

市民向け講話の後、日を変えて北部小学校6年生と、入船中学校1年生にも平和の尊さを語ってもらいました。

また今回は、爆心地から約800メートルにあった山王神社の被爆楠の種から大事に育てた「平和のクスノキ」を長崎市から贈られ、児童たちへの講話の後、吉田さんの手で、北部小学校の校庭に平和のシンボルとして記念の植樹をしてもらいました。

被爆後57年、辛酸を極めながらも、講話の最後に「ありがとうの心を忘れず、毎日を過ごすようにしています。」と語ったのが今でも心に残っています。

浦安市長 松崎秀樹
(広報うらやすNo.721 2002年8月1日号に掲載)

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