2010年

D滑走路の供用開始

2011年

年頭にあたり

「子ども手当」問題

婚活in浦安リゾート

衣替えと復興に向けて

震災とこどもの笑顔

映画「カルテット!」

災害査定と「うらやす復興市民会議」

緑の防潮堤

うらやす復興祭

板橋震災フォーラムに参加して

2012年

「新生浦安」に向けたまちづくり

復興元年と震災1周年

下水道の危機管理を考える

瓦礫

津波の想定と防災協定

天体ショー

興奮の三社祭り

日本の人口減少

ふるさとうらやす立志塾in石巻

凄まじい時代に生きる

人魚ジャパン

復興と震災モニュメント

2013年

年頭にあたり

成人式とレアル・マドリード

浦安市の財政力

桜花爛漫

地域猫と愛護員

納涼花火大会

浦安と金魚

八重の桜

男の盆踊り

スマート・ウエルネス・シティ

宇宙への誘い

こどもの広場

2014年

年頭にあたり

極点社会

大雪の危機管理

春到来と地球温暖化

春爛漫

ヤギの除草係

プリンセス・バンク

異常気象と“高潮”

〝うらやすっ子〟の夏休み

イベントと浦安市のお天気

D滑走路の供用開始

記録的な猛暑に苦しんだ今年の夏がうそのように、急な冷え込みで例年になく色鮮やかな紅葉に彩られた市内の木々に、秋を堪能させてもらいましたが、今年も残すところ1カ月となり、何かと慌ただしい年の瀬を迎えました。

市長選挙の真っただ中の10月21日、羽田空港のD滑走路が供用開始されました。

このD滑走路が「南風の悪天時の着陸」という特定の条件下で使用された場合に、着陸機が最も浦安市に近いルートで飛行します。

なお、「南風の悪天時」についてですが、「南風」は浦安市の場合は主に夏場に海から陸に向かって吹く風と思ってください。

また、「悪天」については、国からの詳しい説明がなく、私も交渉当時からしばらく「悪天候」と誤解していましたが、上空がガスや霧などで覆われてパイロットが羽田空港を目視できない状態を指し、地上での悪天候を指すものではないということです。

羽田空港再拡張問題は、閣議決定されたあとに新聞報道で私たちが知るといった、まさに地元軽視からスタートしましたが、市では、「D滑走路問題」を突如として降ってわいた「浦安市の騒音問題」としてとらえて現在に至っています。

問題発生以来、市ではこれまで、国や県に情報の開示とともに、良好な環境を守るために浦安市の上空を飛行することのないようさまざまな申し入れを行ってきました。

これまでの交渉経過を簡単に振り返りますと、平行滑走路として計画していたD滑走路を浦安市の上空から7.5度、ILSと呼ばれる電波に乗って着陸する方式で2度、合わせて9.5度海側に角度を変えることで、当初の最悪な事態を回避することができました。

さらに、今年の2月には懸案課題であった深夜早朝時間帯(午後11時から翌朝の6時まで)については、習志野方向から直線で日の出地先180メートル沖をまっすぐD滑走路に向かうのではなく、木更津沖から進入して東京湾の海上で旋回し、高洲沖1キロメートルまで離すという修正案により、心配されていた深夜早朝時間帯の騒音被害への懸念を最大限回避することができ、ほっとしたところです。

供用開始が直接、浦安市に影響をもたらすのは、基本的には来年の夏ころからと聞いていましたが、すでに、羽田空港の国際化と24時間化による離陸機の想定外の騒音の影響が出始めていて、昼夜を問わず市民からの苦情が増えています。

もともと国は、羽田空港のハブ化・国際化が無理ということで成田空港整備に着手したはずですが、羽田空港の整備状況を見ていると、国内線は羽田空港、国際線は成田空港といういわゆる「内際分離」の原則を放棄したと思わざるを得ません。

国直轄の羽田空港に対して、成田空港の株式会社化がそれを証明しているものと思われます。

異常な警備体制が続く成田空港の現状を見るとやむを得ないとは思いますが、情報開示が後手後手になり、取り返しがつかなくなってしまった成田空港の教訓を無駄にすることなく、国と県に対し事前の情報開示と先手先手の対策をこれからも強く求めていくとともに、11月16日の千葉県知事と市町村長との意見交換会の席でも森田知事に、国への監視強化を申し入れたところです。

 

浦安市長 松崎秀樹
(広報うらやす第913号 2010年12月1日号に掲載)

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