震災とこどもの笑顔 未曾有の大震災から早くも4カ月がたとうとしています。 今、3月11日から今日まで私がメモした書類を整理していましたら、様々なことが思い出されました。 地震発生時、私は市長室で接客中でしたが、余りに大きな揺れに市役所庁舎内にいた部長たちほぼ全員が、10分後には市長室の隣の市長公室に集まっていました。 誰もが今まで経験したことがなかった揺れの大きさと長さに、来るべきものがついに来たのかと思いながら、各自が自発的にそれぞれの持ち場での被害状況を把握するため散会しました。 それからまもなく、中町・新町地域の被害状況が断片的に入ってくる中で、午後3時50分に災害対策本部の設置を決め、午後4時に第1回目の災害対策本部会議を開きました。 翌12日から15日までは、朝・昼・夕の3回、それ以降は朝・夕の2回、災害対策本部員となった幹部職員で情報共有しながら、連日応急復旧に取り組みました。 その中の、3月15日の第14回災害対策本部会議以降、子育て真っ最中の母子のメンタルケアや、震災を機に小さなこどもたちの心のケアなどが話題になってきました。 その後、毎回と言ってよいほど大塚久美子こども部長から、子育て中の家庭や、保育園、臨時に開設した幼稚園の「子育てすこやか広場」からの報告がなされ、震災がこどもたちに与えた影響の大きさが問題になってきました。 確かに震災直後から、春休みも重なったこともあり、市内にこどもたちの姿とともに、笑い声が消えたのは事実で、私も一日も早く市内にこどもたちの笑顔と歓声が戻ることを、ライフラインの応急復旧とは別に、復旧の一つの基準にしていました。 こどもたちの無邪気な笑顔と笑い声は、復興のシンボルです。 しかしながら現実は、余震が連日のように続き、加えて震災後東北3県の被災状況をこれでもかとテレビを通して見せられ、まだ分別が利かないこども達の心に現れたのはトラウマやPTSDの症状で、様々な報告があがってきています。 笑わなくなりふさぎ込むことが多くなった、一人でいることを異常に怖がる、夜泣きやおねしょが再発したり、中には妹や弟に暴力をふるい始めたと、その症状は様々です。復興後の浦安市を、いや日本の将来を考えた時、こどもたちの心のケアは非常に重要な問題であり、かつ優先課題でもあると思っています。 このようなことから市では7月5日(火)に、災害臨床心理士として今も東北3県の被災地を精力的に回りながら、こどもたちは元より被災地の過酷な状況の中で被災者を支える専門職の心のケアをしている藤森和美先生をお招きして、災害を体験したこどもの心をケアするための講演会を開催することになりました。 対象は基本的に保育士、教職員、カウンセラー、子育て広場のスタッフ、児童育成クラブの指導員、NPO等々、浦安市のこども達を支える全ての立場の方々です。 最初は400人定員の文化会館小ホールを会場にして募集しましたが、官・民の垣根を越えて予想以上の申し込みがあり、急遽大ホールに変更しました。 自ら被災しながらも講演会への参加を申し込まれた方もおり、浦安のこどもたちを支えようと、これだけ多くの方々が真剣に取り組まれていることを、大変心強く思うとともに、事の深刻さをあらためて思わざるを得ません。
浦安市長 松崎秀樹 |