興奮の三社祭り 前日の雨もやみ、さわやかな好天に恵まれた6月15日の夜、各神酒所の神輿が、清瀧、豊受、稲荷の三神社の宮神輿の元に続々と集まりました。 その数は、清瀧神社36基、豊受神社34基、稲荷神社6基の合わせて76基です。 勢ぞろいした神輿への御魂入れが全て終わると「マエダ、マエダ」の掛け声も勇ましく、それぞれの神酒所に帰り、興奮の内に四年に一度の「浦安三社祭り」の幕が切って落とされました。 もともと、漁師町だった浦安の祭りは「けんか祭り」とも言われ、勇壮さと荒っぽさで有名で、あまりの荒さに昭和36年の祭礼の際、神輿の周りを機動隊が固めて渡御するはめになりました。 その後警察の許可が下りず中止に追い込まれ、13年ぶりの昭和49年にやっと復活を果たすと言った歴史を持つ元気な祭りです。 市川青色申告会の会長でもあり、神輿づくりでは全国的に有名な行徳にある中台製作所の中臺實社長が、税務関係団体の懇親会の挨拶で浦安の三社祭りに触れて「仕事柄、全国の祭りを見ているが、浦安の三社祭りは派手さと盛り上がりは日本一で、数カ月前から準備に力が入り、本番前に力を使い果たす若衆もいるほどだ」と語っていました。 今年は50年ぶりにフラワー通りが清瀧神社の宵宮の渡御コースに加えられ、通り沿いの住民達を感動させていました。中には紅白の餅をついて配る家もあったり、また「俺は、50年前この通りで担いだんだ」と、往年を懐かしみ涙ぐむ高齢者もいたり、宵宮から大いに盛り上がっていました。 また、今回初めて、中央公民館前に高齢者や障がい者のために、椅子を用意した特別席でくつろいで見ていただく豊受神社の西組や猫実地区の演出も功を奏して、涙を流して喜んだ方もいたと聞きました。 16日はあいにく雨に降られましたが、最終日の日曜日は、太陽も顔を出し、興奮もピークに達しました。 今回、自治会連合会が初めて中町・新町の住民にも浦安の祭りに参加してもらおうと、神輿を1基用意して、17日の1日だけでしたが、県立浦安高校の野球部員などの若い力も借りて、喜多栄睦会の神輿の後について、練り歩いていました。 人出は、4年前や8年前の比ではなく、どこからこれだけの人が湧いてくるのかと思われるほどで、文字通り人・人・人で、盛り上がった祭りでした。 私も、15日の宵宮から17日の宮入まで、三社の宮神輿を始め、多くの神輿を担がせてもらい、ふらふらになりながらも魂の震えるような感動とともに、浦安の原風景を実感しながら、三社祭りを楽しませてもらいました。
浦安市長 松崎秀樹 |