納涼花火大会 すっかり浦安の夏の風物詩となった納涼花火大会は、今年で35回目を数えます。 第1回花火大会が行われた昭和54年、当時はまだ市制施行前の東葛飾郡浦安町でした。 人口が前年の3月に4万人を突破し、この年の5月には5万人、さらに翌年の4月には6万人と、ほぼ毎年のように1万人ずつ人口が急増し、全国でも例のない急成長期を迎えた時期でした。 結果的には、昭和53年から7年間連続で都市成長率全国1位を記録したように、首都近郊にあって交通の利便性などからも良好な住宅地として、今日の発展に至るスタートの時期でもありました。 埋め立て地である中町・新町地域の多くの住民はこの地で初めて顔を合わす人ばかりで、当時の浦安の最優先課題は、何と言っても住民同士のコミュニティの醸成でした。 そのために今に至るまで、他の市町村にはないさまざまな事業を行政が行っています。 例えば各自治会の集会所や、老人クラブの集会所を土地の取得から建設費、さらに水道光熱費などの維持管理も市が行っているのもその現れです。 また、基本的に中学校区に1館ずつ大型公民館を整備しているのも、地域のコミュニティの拠点づくりのためです。 納涼花火大会も、その一環として「ふるさと浦安」を一人でも多くの住民に実感してもらうため、町内の多くの団体を網羅して組織した「浦安町ふるさとづくり推進協議会」の主催により始まったものです。 毎年多くの観客を喜ばせるための趣向を凝らしながら、江戸伝統の花火師「鍵屋」により、打ち上げてきました。 当初は入船地先(現在の日の出・明海地区)、その後高洲地区で打ち上げていましたが、住宅地の拡大などの時代の流れの中で、日の出地区へと移ってきました。 そして、いよいよ昨年までの観覧場所が、宅地造成されて分譲されることになり、陸上からの花火打ち上げが不可能になりました。 ここ4〜5年、「もう今年が最後かも知れません」と言い続けてきて、ほとんど狼少年状態になっていましたが、多くの市民からの「市としても何としても存続する手だてを考えて」、との声に背中を押され、さまざまな検討をした結果、今年の花火大会は初めての試みとして、海上からの打ち上げになります。 5月14日の「浦安市ふるさとづくり推進協議会」の総会で最終的に承認され、やなぎ通りとシンボルロードの突き当たりの350m沖の東京湾上に台船を2艘浮かべて、打ち上げることになりました。 今までも大混雑を避けるために、あえて日程を隅田川花火大会にぶつけてきましたが、今年も7月27日の土曜日、宗家花火鍵屋15代目花火師の天野安喜子さんの演出による真夏の夜の祭典で、浦安の一日も早い復興への願いを込めた、海上花火を大いに楽しんでください。
浦安市長 松崎秀樹 |