浦安と金魚 6月17日、浦安のボランティアの草分けの一人でもあり今年87歳になる西脇いねさんが、「浦安のかあちゃん農家」と題する本を自費出版し、市長室に届けてくれました。 この本は、昭和46年まで続けた浦安での農業について自らの体験を著した実に貴重なもので、一気に読ませていただきました。 市の図書館にも寄贈いただきましたので、今では農地ゼロの唯一のまちとなった浦安の歴史を知るためにも、ぜひご一読ください。 本の中で私にとって、とりわけ興味深かったのが、「秋山の金魚池」と呼ばれた養魚場についての記述と写真でした。 これまで話では、関東一の金魚の養殖場だったとは聞いていましたが、現在の市役所、健康センター、郷土博物館周辺から一面に広がった当時の養魚場の写真を見て想像以上の大きさに驚きました。 この当時の養魚場の大きさは、総面積7万9000平方メートル(約2万4000坪)で、大正11年に初代秋山吉五郎氏が、現在の江東区砂町から移ってきて、ここから毎年数十万匹の金魚が全国各地に出荷されていました。 この秋山養魚場を営んでいた秋山吉五郎氏は代々世襲で、特に初代と二代目は金魚や錦鯉の世界では伝説的な人だったようです。 ちなみに、三代目吉五郎氏は浦安海洋少年団の団長で、市の社会教育委員も長く務められ、浦安町と市に多大な貢献をされた方で、私も懇意にさせていただいていました。 浦安市では東日本大震災後、全国の市町村と相互応援の防災協定を結んできましたが、その一つが金魚の生産地でもある愛知県弥富市です。 昨年の10月弥富市に伺いましたが、市内至る所にある養魚場を目にして、改めて「金魚の町弥富市」を実感しました。 弥富市長の案内で、金魚漁業協同組合を視察した折り、浦安市との縁を組合長から伺い、秋山吉五郎氏の功績を改めて知りました。 金魚もいろいろで、愛好家や専門家の中では常に新品種にチャレンジしているようですが、品種として定着するまでには大変な時間と労力がかかるようです。 その中でも、今ではすっかり金魚の名作として定着した「秋錦(しゅうきん)」は秋山の姓からとったものであり、さらに「朱文金(しゅぶんきん)」や、「キャリコ琉金」は初代が、また「江戸錦(えどにしき)」「京錦(きょうにしき)」は二代目秋山吉五郎氏が作り出したもので、今でもこれらの功績により金魚界の巨頭として讃えられています。 こういった意味では、弥富市と浦安市は「金魚つながり」でもあります。 今、市長室には弥富市長から寄贈された「琉金」や「江戸錦」、「ランチュウ」など、七種類の金魚が90センチメートルの水槽の中で、優雅に泳ぎ回り、訪れる方々を和ませてくれています。
浦安市長 松崎秀樹 |