八重の桜 NHKの大河ドラマ「八重の桜」も戊辰戦争の終結で、新たなステージへと移るようです。 私の母親が福島県須賀川市の出身で、幼い頃より戊辰戦争のことを聞かされて育ちましたので、ドラマの展開に一喜一憂しながら見ています。 私が小さい頃より聞かされてきたのは、福島県民、特に会津地方の人たちにとって、この前の戦争と言えば太平洋戦争ではなく戊辰戦争を指し、賊軍の汚名を着せられた会津側の恨みは、現在に至るまでさまざまな形で残っているということです。 こども心にショックを受けたことばに「白河以北、一山百文」というものがありました。 これは、勝者となった薩摩藩・長州藩から、官軍と戦った奥羽越列藩同盟に加わった東北勢に対して、明治維新政府以来昭和の時代になっても、白河から北に対して差別を受けていると言った言葉です。 今年の全国市長会の総会で、新潟県長岡市の市長で全国市長会会長が、来賓で登壇した山口県選出の安倍首相を迎えるに当たり、「戊辰戦争以来の怨念を越えて」と言ったことにも現れているように、明治維新の影響は平成の今に至っても、厳然として地方には残っているようです。 平成21年以来、浦安市は群馬県倉渕村に“浦安市民の森”をお借りしていますが、この時の経緯も、明治維新にタイムスリップした感がありました。 幕末に活躍した幕臣の小栗上野介は、横須賀市の基礎を築いた人として今でも横須賀市の恩人として慕われているようですが、最後は知行地であった倉渕村で高崎藩に捕縛され、河原で斬首されてしまいました。 私たちが倉渕村に浦安市の水源を求めて接触が始まったときが、ちょうど高崎市と合併する時期に重なり、それまで小栗上野介つながりで友好都市交流をしていた横須賀市が、「高崎市には恩はない」と、友好関係を解消するところへ、浦安市が市民の森事業として新たな関係を持つに至ったのですが、当時の村長から事の経緯を聞いて、明治維新が現代にまだ生きているとの感慨を持ったものでした。 先日、これらとは反対の面白い話を聞きました。 7月9日、公立図書館の今後のあり方について、山口県萩市と福島県白河市、さらに福岡県小郡市の市長の3人と私の4人で全国市長会主催の市長座談会が開かれた折のことです。 旧長州藩の萩市長と、旧会津藩側の白河市長との同席とのことで、話は自然と明治維新の話題になりました。 白河市長から戊辰戦争で最大の激戦地で最も多い戦死者がでたのが“白河の戦い”だと教えられました。 私は、白河市長から萩市長に恨みの言葉でも出るのかと、一瞬思ったのですが、出てきたのは全く予想外の話でした。 それは、会津攻めに加わった長州藩の兵士たちによって伝えられた“白河踊り”が、今でも萩市内の盆踊りで踊られ、両市が仲良く交流しているとのことでした。 高杉晋作の奇兵隊に代表されるように官軍の兵士は多くが農民だったことから、戦いの最中でも敵地とはいえ白河藩の農民には親近感を持ったようで、戦の合間に、故郷を思いながら共に踊り明かし、郷里へ帰ったときそれぞれの地元に伝えて、今に至っているとのことです。 「八重の桜」を見ながら、歴史の光と陰に思いを巡らし、改めて明治22年、この地に「浦(心)、安かれ!」と、平和なまちへの祈りと願いを込めて「浦安」と命名した初代村長に思いを馳せました。
浦安市長 松崎秀樹 |