こどもの広場 11月にもかかわらず、泥の水たまりに頭からスライディングを繰り返す男の子たち、裸足で駆けっこする女の子、木々の間を追いかけ回る子や、木によじ登る子、好きなところを大きなスコップで穴を掘る子、中には大人用のハンマーで一心不乱に釘を打とうとしている3歳ぐらいの女の子。私は、こどもたちのあまりの逞しさに一瞬たじろいだものの、慣れるまでにさほどの時間はかかりませんでした。 40~50年前にタイムスリップしたかのように泥だらけになりながらも、好奇心に溢れ目を輝かすこどもたちの姿は、世田谷区の羽根木公園や駒沢、さらに川崎市などにあるプレイパークでは当たり前の光景だそうです。 私も、こどもたちが何の規制も受けることなく思いのままに遊べる広場をぜひ浦安にと、前回の選挙で訴えました。 当初考えていたのは、第2湾岸道路予定地でしたが、あの大震災のあと復旧・復興工事の車両や資材置き場に使われ、千葉県企業庁との調整も工事の終了まで延期せざるを得なくなりました。 今年3月、企業庁の土地造成事業からの撤退に伴い市内の未利用地を取得しましたが、どうせならば、未来を担うこどもたちのためにと、こどもたちが本当に喜ぶ広場整備の検討を始めたところです。 当初、全面を人工芝で覆い、ケガをしないように遊び回れる広場をと安易に考えていました。ところが、毎年参加者が2,000人を超える「子育て応援メッセ」を主催している、NPO法人i-netの中島純子代表はじめとする、何人もの子育てを支援し、こどもたちのことを現場でよく知っている人たちに、猛反対されてしまいました。 そこで視察したのが、冒頭の3カ所のプレイパークです。私のこども時代、鼻水を垂らしながら腕白し放題だった頃を彷彿させるこどもたちを見ていて、つくづく「こどもはいつの時代も変わらないのだ」と感じました。 いずれのプレイパークでも「ケガと弁当は自分持ち」と看板に手書きで書かれていました。あれをしてはいけない、これはだめと規制だらけではなく、こどもの自主性を大事にしながら、自己責任を強く訴えていました。 そうは言いながらも、放任ではなく、プレイリーダーと呼ばれる教育を受けた指導者がいて、こどもたちを見守っていました。 プレイリーダーに、もし浦安に作る場合のアドバイスをと伺ったところ、3カ所とも異口同音に、「土・木・水・火」のキーワードが出てきました。 どうしても欠かせないのが、この4つとのことで、古代中国の陰陽五行思想の「木火土金水」を連想させますが、肥沃な土、実がなる木々、流れる水、焚き火や薪を使っての料理など、最も原始的で自然な、私たちのこども時代にはどこにでもあったような「こどもの広場」を浦安のこどもたちのために作りたいと思っています。
浦安市長 松崎秀樹 |