板橋震災フォーラムに参加して 11月12日の土曜日、50年ぶりに、私が6年生の2学期まで通った小学校の校庭に立ちました。 50年前に比べて大きく様変わりした町並みに驚き、かつての母校はいかばかりと胸をわくわくさせ小学校に着き、いざ校庭に立ってみると当時はかなり広く思えた校庭が「えっ、こんなに狭かったの」というのが正直な感想で、時の流れと我が身の成長に感慨一入でした。 わずかな時間でしたが、私を育ててくれた学び舎に改めて感謝しながら、目的地の板橋区立文化会館に向かいました。 この日は、板橋区の市民団体が協働をテーマに年1回シンポジウムを主催していて、会の代表が今年は東日本大震災の被災地の首長を招こうと調べたところ、たまたま小学校時代を板橋区で過ごした私に親近感を感じて声をかけてくれたとのことでした。 そのシンポジウムで、パネリストの一人の板橋区の福祉部長を兼任している危機管理担当部長が、日本での過去の大地震を調べた結果を発表していました。 これは、869年に三陸地方を今回のような大津波が襲ったといわれる「貞観地震」から、今回の東日本大震災までに起きた「東北・北海道太平洋地域でM8級の地震後に関東地方で発生したM6以上の地震」を調べたものです。 その結果は、実に驚くべきものでした。 M8.6の貞観地震から、M9.0の今回の地震まで、東北・北海道の太平洋地域で一般的に巨大地震といわれるM8以上の地震は、合計12回で、今回の東日本大震災を除くと、これらの巨大地震の発生から20年以内に、関東地方でM7.0以上の大地震が8回発生しているそうです。 さらに、M6.0以上の地震となると、10年以内では9回で約82%、5年以内も6回で約55%と、かなりの確率で発生しています。 大正12年(1923年)9月1日に起きたM7.9の関東大震災も、その5年前には千島列島のウルップ島沖でM8.0の巨大地震が発生していたとのことです。 時代的には、20世紀が最も多く1909年の房総半島沖地震(M7.5)、1938年の茨城県沖地震(M7.0)、1953年の房総沖地震(M7.4)、2000年の伊豆諸島沖地震ではM6.5が2回発生しています。その後、2008年のM7.0の茨城県沖地震に続き、今回の東日本大震災へとつながっています。 今、浦安市では国土交通省と文部科学省の災害査定が11月上旬に終わり、いよいよ本格復興とともに今まで以上に安全なまちづくりに向けた工事が始まりますが、単に元に復する復旧に止まらず、液状化に強いインフラの整備を視野にいれていかなければなりません。 11月28日には浦安市液状化対策技術検討調査委員会の中間取りまとめもなされましたので、そこで示された工法を具体的に精査し、設計の中に盛り込んでいければと思っています。 道路の空洞化対策など緊急課題を最優先にしながらも、優先順位をつけながら計画的に復興作業を進めていきます。 具体的に着工できるのは来年度になる見込みですが、現在地震の活動期に入ったともいわれ、過去のデータを見てもいつ大地震が起きてもおかしくないような状況下であることを常に頭に入れて果敢に行動していきたいと思っています。
浦安市長 松崎秀樹 |