ふるさとうらやす立志塾in石巻 8月20日から22日まで、浦安市立の8中学校から3名ずつの総勢24名の生徒会役員や、学級委員など各中学校でリーダーとして活動している生徒と、宮城県石巻市で2回目の「ふるさとうらやす立志塾」の研修を行いました。 立志塾は、「立志式」という元服にちなんで大人になる自覚を深めるために、将来の決意や目標を明らかにする日本古来の行事の現代版です。 昨年度、大震災の影響で新規事業を止めた中で「立志塾」は、中学校の生徒会役員などを視野に入れ、混沌とした時代を担うリーダーを今から育てようと唯一立ち上げたものです。 第1回目は、昨年の12月末に青少年交流活動センター「うら・らめ~る」で行いました。 今回は東日本大震災の最大の被災地でもあり、海に接し、震災前の人口も約16万3千人と、浦安市と同規模で比較しやすいまちと言うことで、石巻市を選びました。 何よりも、未曽有の被災をされた石巻市の大地に立って、何を感じ、何を考えてくれるか、中学校2年生という、人生で最も多感な時を生きているこども達の成長に、大きな期待を込めて私も同行しました。 石巻市は3,103名の死者を出し、行方不明者も488名で、津波の浸水域は何と本市全域の4.3倍にも及び、全壊した家屋は22,357棟で、今後復興に要する費用は約2兆円と想像を絶するものです。 初日は石巻市に入り、津波の襲来で壊滅的になった中心市街地と、4千人を超す避難住民が水が引くまでの2日間を過ごしたという小高い日和山の山頂まで、麓の門脇小学校の児童達が避難した経路を、当時の生々しい説明を受けながら、被災者に思いを馳せながら登りました。 翌日は、石巻市役所へ副市長と教育長を訪問しましたが、凄まじい体験をした石巻のこどもたちのメンタルケアが今後最低でも10年はかかるであろうことを伺い、その大変さに驚かされました。 さらに、市内で最も多くの避難住民が暮らす渡波仮設住宅の皆さんと、こどもたちの交流が和気あいあいと行われました。 その横で私は、次期自治会長と話をさせてもらいましたが、「1年半近くたつが、ここでは将来のことや、復興について語りあうことはない。希望がないから」と力なく話された言葉に何とも言えない無力感を覚えました。 別れ際、復旧・復興に阪神淡路大震災の経験を生かすために尽力している“チーム神戸”のリーダーから、避難住民とこどもたちの直接交流は初めてで、こんな生き生きした高齢者を見たのは初めてと心から感謝されました。 あっという間の2泊3日でしたが、24名の未来のリーダーたちのこれからの人生に、想像以上の影響を与えたと確信しました。
浦安市長 松崎秀樹 |