市長職を辞するにあたり 平成10年11月8日の浦安市長選挙の投票日に開票が終わり、市の職員から当選の通知を受け取ったその時から、早いもので5期目の18年3カ月、振り返るとあっという間でもあり、長い月日であったような気もします。 昨年4月、東葛飾郡浦安町から〝浦安市〟へと晴れて市制が施行されて35周年を迎えました。 顧みますと35年の前半の創生期を熊川好生前市長が担われ、引き継いだ私が後半の発展期と安定期を担ったことになりました。
4期目に入った翌年、公約を果たすため新規事業を盛り込んだ予算審議をしていた3月11日、「何時かは」と覚悟していた震災が、まさか私の在任中に〝液状化〟という大地の被災に見舞われ、昭和24年9月以来、62年ぶりの災害救助法の適用を受けるとは…。 しかし、震災の数年前から被災を予感していたかのように、図上演習や想定訓練を繰り返していたことも功を奏して、1時間後の臨時部長会議の招集・災害対策本部の設置と、間髪を容れず迅速な行動が取れ、さらに全国で20万人以下の自治体で初めて自衛隊の幹部を危機管理監に迎えたことで、被災翌日から自衛隊の給水支援を受けられました。 さらに下水道の応急復旧に当たって、東京都下水道局の支援を受け、その時の記録集が結果として災害査定のほぼ満額の119億円を勝ち取るなど、至る所で好運に恵まれ続けた在任中だったと心から感謝しています。 また、就任当初、市の財政を脅かし債務超過を起こしていたケーブルテレビSNU(スーパー・ネットワーク・ユー)をJ:COM(ジェイコム)に額面の満額での売却に成功し、さらに毎年の赤字補填で悩みの種であった浦安市川市民病院を自治医科大学系の公益社団法人地域医療振興協会へと民営化に成功したことは望外の喜びでした。 また、1期目の公約であった〝おさんぽバス〟も1・2号路線とも順調に運行して、現在、3号路線の検討にも入ったところです。 就任以来、平成15年には14番目の小学校の高洲小学校建築に際して、従来の羊羹型の校舎から将来の少子化と高齢社会を念頭に入れ、時代の流れの中で校舎の有効活用や転用を念頭にした、ブドウの房を意味する〝クラスター型校舎〟へと転換させました。 続いて平成17年の日の出南小学校、翌18年の高洲北小学校、明海南小学校と明海中学校の合築校舎、さらに平成22年の東野小学校、25年の高洲中学校と整備してきました。 在任当初の浦安市の人口は、約12万8000人でしたが、震災後一時減少したものの現在は約16万6000人と、数年前から再び増加に転じています。 熊川市政から引き継いだ財政も、国からの普通地方交付税をもらわない、国から自立した自治体である不交付団体を維持しつつ現在に至り、次期市長に渡せることができ、ホッとしているところです。 地方債残高も、平成11年度末の473億円から、平成27年度末現在197億円と276億円返済してきて健全財政をより確かなものとして、引き渡すことができます。 震災の復旧・復興も大筋目途が立つとともに、耐震性にも老朽化にも大きな課題を抱えていた市役所庁舎も、昨年6月無事に竣工落成を迎え、次に必ず来るであろう首都直下地震など有事の際の司令塔として、100年耐用の新庁舎が完成したことも、安心して職を辞することができる要因の一つと考えています。 教育は国家百年の大計と言われますが、1期目の公約である少人数教育も浦安市が独自に採用した少人数教育推進教員を全校に配置して、すっかり定着しています。 全国の教育長が、教育予算をせめて一般会計の10パーセント越えにしたいと願っていることを、黒田前教育長に伺いましたが、本市ではほぼ20パーセント台を維持し続けていて、学校教育だけでなくスポーツや生涯学習にも力を注いでこられたのも、私にとっては自慢の一つです。 また、国の喫緊の課題でもある少子化対策も、議会の議決を得て30億円を財政調整基金から繰り出して「少子化対策基金」を創設し、でき得ることを何でもしてきたつもりです。 核家族が圧倒的に多い本市にとっては、親に変わる行政の子育て支援が欠かせないものと考えてきました。 昨年末、子育て情報サイトの日経DUALと日本経済新聞社が、『共働き子育てしやすい街グランプリ2016』を発表し、浦安市は全国編で見事第1回目のグランプリを受賞して、こども部長をはじめ関係者と喜びを分かち合いました。
この度、熟慮の末3月に執行される千葉県知事選に挑戦する決意を固め、2月9日の臨時議会において、市長職を辞する予定ですが、これまでの18年3カ月に渡り、市政を担当させていただき、思う存分働かせていただいたことに、改めて心から御礼申し上げます。
この「こんにちは市長室です」は、市民の皆様に、少しでも行政に関心を持ってもらうために、平成11年の6月1日号から書き始めたもので、約17年にわたりすべて自分で考えて、書いてきたものです。 毎回、締め切りギリギリであったり、担当職員泣かせのコーナーでしたが、ついに最終回を迎えました。 これまで、読んでいただいた市民から多くの励ましやご意見を賜りましたが、改めて御礼を申し上げます。
最後に、これまで市政にご理解・ご協力賜りました、市民や議会の皆様に衷心より感謝を申し上げ、筆を置かせていただきます。 浦安市のますますの発展と、市民の皆様のご多幸を心よりお祈りいたします。 浦安市長 松崎秀樹 |