日本人と〝花〟 今年も浦安市内の桜は、多くの市民の目を楽しませ、心を和ませてくれました。 しかし今年の花見は、残念ながら天候不順と寒さのため、桜の木の下での宴は、例年に比べて少なかったようです。 市内の桜の多くは淡いピンクのソメイヨシノですが、寒かったせいか何時までも散り惜しんで、今年の新1年生を祝福していたかのようです。 爽やかな春の風に散る桜吹雪の中を、少し大きめの服を着て、ランドセルを背に負った1年生が胸を張って登校する姿に思わず、頑張れと胸の中で声を掛けていました。 ソメイヨシノが散り葉桜になると、待っていたかのように市役所周辺の八重桜が咲き誇ります。 今年も4月下旬まで、ソメイヨシノとは違った趣で楽しませてくれました。 松尾芭蕉の高弟の有名な句に 「世の中は三日見ぬ間に桜かな」 というのがありますが、可愛い蕾をつけたかと思うと、あっという間に満開になり、散る時も〝桜吹雪〟と呼ばれるように散り際が見事なくらい潔いことから、江戸時代の武士と江戸っ子に好まれたようで、今でも日本人の美意識の象徴のようになっています。 梅、桜と続いて、冬から春へと季節の移ろいを実感できる私たち日本人にとって、「はな」には特別な思いが込められていると、熱く語ったのは花の写真家として有名で、浦安市美展写真部門の特別審査委員を長年お勤めいただいた高橋扶臣男先生です。 先生と、4月半ば10年ぶりにお目にかかりましたが、私が市長に就任早々、市美展に参考出品されていた川面に浮かんだ花弁をモチーフにした作品に心惹かれ、しばらく見入っていたところ、伝え聞いた高橋先生が、それならとご寄贈くださり、今でも市長室の机の脇に飾ってあります。 現在84歳の先生は、長く日本人と花の関わりに関心を持ち、「花づくし」と題した写真集も出版されています。 明るく楽しいひとときであった上に、話も含蓄に富んで、大変ためになった1時間でした. その中で先生より、古来から日本人は、季節とともに非常に花を大事にしてきた民族で、「花には神が宿る」と考えるとともに、草木の先端に花が咲くことから、物事の 〝端〟のことを〝はな〟とも呼び、「神が宿る」としていたとのことを教えていただきました。 今でも能や歌舞伎の舞台で、鏡板と呼ばれる正面に〝老松〟を描き、左右の袖に〝若竹〟を描いてあるのは、松と竹の先端に神が宿るとして、いずれの舞台も神聖なものとされてきたからだそうです。さらに、船の先端部分の舳先も〝はな〟と呼びますし、神輿の担ぐ棒の先端も〝はな棒〟と読んで、最も重要な部分としているのも、〝はな〟に神が宿るとの考え、であればうなずけます。 さまざまな花の研究をされた先生からは、「嫁にやるときは、嫁ぎ先の庭を見ろ」という花にまつわる格言があると教えてくれました。 これは、四季折々の花を育てている庭を持つ家は、仏前に花を切らすことがないでしょうし、当然先祖を敬う家でもあり、心の豊かさを表しているというもので、先人たちの知恵が偲ばれる至言です。 5月の声を聞き、若葉が目に眩しい1年で最も凌ぎやすい季節の到来で、市内のツツジも新緑の葉に包まれるように赤やピンクで彩りを添え、本格的な春の訪れを告げています。 今年の大型連休は、地方統一選挙も終わり、5月の爽やかな風の中で、心豊かに花を愛でるひとときを持ちたいと思っています。
浦安市長 松崎秀樹 |