2002年 ● 新たな決意 2003年 ● 年頭にあたり ● 市町村長の交流会 ● ありがとうの波動 ● 高洲小学校 ● 全国植樹祭 ● がんばれ県立高校 ● お父さんの力 ● 浦安市民の歌 ● 今年を振り返って 2004年 ● 年頭にあたり ● 図上訓練 ● 春うらら ● 交通公園 ● 変化 ● 浦安の夏 ● 酷暑と浦安の海 ● 長崎平和使節団 ● 堀江水準標石 ● バランスシート 2005年 ● 年頭にあたり ● あれから10年 ● 校庭の芝生化 ● 団塊の世代 ● プラチナ世代 ● クール・ビズ ● スケートボード ● 一朝有事に備えて ● 浦安っ子に乾杯 ● 国勢調査 ● 山の民・海の民 2006年 ● 年頭にあたり ● 浦安市民の森 ● 水と電気 ● 院内コンサート ● 市制施行25周年 ● チャレンジ・浦安 ● 災害救助犬 ● 障害者の自立支援 |
あれから10年 あの日の早朝、「関西で大きな地震が起きたらしく、死者が10人を超えたみたい。」との妻の声で起こされ、被災地からのテレビ中継にしばらくくぎ付けになりました。 あの日、阪神淡路大震災が起きた1月17日から、早いもので10年が経ちました。 当時の私は県議会議員で、県の防災対策の充実を執行部に迫っているところでした。 しかし、いかんせん大きな地震や水害などの災害にあったことがなく、液状化現象など頭で知ってはいても、今ひとつ実感が伴わないもどかしさを感じているときでもありました。 テレビで次々と映し出される被災状況も、ただ自分の経験したことがない、とんでも無いことが起きていることだけはわかりましたが、実感として感じられない、そんな思いでした。余震が心配されるなかでしたが、この目で被災現場を見なければと、その日の最終の新幹線に飛び乗りました。 途中、名古屋までしか行けなかった新幹線も京都まで行けることになり、京都で一泊し、翌日の未明にホテルを発ち、さまざまな交通機関を乗り継いで、大阪の八尾空港にたどり着いたのは、午後2時ごろでした。 ヘリコプターで上空から被災現場を見ることができましたが、ガラス越しに見る現場に実感がわかず、早々にヘリから降りて、護岸が決壊した淀川の河川敷を見たあと、大阪から電車で被災地・西宮に入りました。 想像を絶する震災現場に声もなく、ただ驚きと、こんなことが現実に起こるのかと、自問自答しながら、崩壊した家屋の間を、数時間まさに、さまようように歩き回りました。 このときの強烈な体験が、今に至る私の防災と震災に関する原体験です。 「見る」「知る」「体験する」ことの強みを実感したのが、私にとっての10年前の震災でした。 昨年の新潟県中越地震の際に、余震が続くさなかでしたが、救援活動に派遣する市職員の募集を行ったところ、短時間で50人を超える応募があり、危険を顧みず手を挙げてくれた職員に頭が下がりました。 最終的に技術職、事務職合計のべ39人の市職員を交互に支援に派遣しました。 被災地の役に立ったことはもちろん、この体験がひいては浦安市の防災対策の大きな財産につながると信じます。 浦安市長 松崎秀樹 |