2002年 ● 新たな決意 2003年 ● 年頭にあたり ● 市町村長の交流会 ● ありがとうの波動 ● 高洲小学校 ● 全国植樹祭 ● がんばれ県立高校 ● お父さんの力 ● 浦安市民の歌 ● 今年を振り返って 2004年 ● 年頭にあたり ● 図上訓練 ● 春うらら ● 交通公園 ● 変化 ● 浦安の夏 ● 酷暑と浦安の海 ● 長崎平和使節団 ● 堀江水準標石 ● バランスシート 2005年 ● 年頭にあたり ● あれから10年 ● 校庭の芝生化 ● 団塊の世代 ● プラチナ世代 ● クール・ビズ ● スケートボード ● 一朝有事に備えて ● 浦安っ子に乾杯 ● 国勢調査 ● 山の民・海の民 2006年 ● 年頭にあたり ● 浦安市民の森 ● 水と電気 ● 院内コンサート ● 市制施行25周年 ● チャレンジ・浦安 ● 災害救助犬 ● 障害者の自立支援 |
変化 羽田空港のD滑走路について、何らかの動きがあるらしいが情報が錯綜して、混乱していた。 そんななか、5月22日の夕方、舞浜のホテルで堂本知事と急きょ面談。国土交通省から知事へ、「至急面談を。」との連絡が入っていた。翌週の24日午後1時に面談することになる。 私も、関係する14市長のなかで、急先鋒で国土交通省と交渉を重ねていた市長として同席を求められた。 面談当日、少し早めに千葉県庁に着き、「吉と出るか、凶と出るのか。」そんなことを考えながら、いささか緊張しながら知事室に入る。 国土交通省からは、航空局関係のトップ、実質省内のナンバー2の審議官と、航空局長に管制保安部長などがそろい、国の意気込みが伝わってくる。 開口一番、「D滑走路の角度を7.5度、管制技術でプラス2度、合わせて9.5度角度を振る。浦安の陸域通過は回避させる。」さらに、「運用比率を8%から3%に修正する。」矢継ぎ早の修正案の提示に、一瞬我が耳を疑う。 とっさに思ったのは「山が動いた! 国が変わった!」 住宅管理組合連合会は、23組合連名の「断固たる行動も辞さない」との厳しい内容の大臣あての要望書を提出、また、自治会連合会を中心に全市民に向けた署名運動をはじめた矢先の急転直下の動きでした。 知事室から国の役人が出て行った後、堂本知事も「国が県や市にここまで譲ったのは前代未聞」「あり得ないことが起こった」。私も国と地方との関わりを長年見てきた経験から、全く同感でした。 確かに、今までの交渉のなかでは「国が決めたことだから。」の強い姿勢を肌で感じ、大きな厚い壁を思い知らされていました。 ほとんど国からの財政支援を受けない地方交付税の不交付団体の市長として、あまり霞ヶ関や永田町には陳情に行く必要がなかった私でしたが、今回は国会議員の秘書時代からの、持てるすべての人脈をフルに活用して、陳情活動を繰り返しました。 今回の結果が、市の行政と一体で協力してくれた市民や関係機関の総力の賜と確信しています。 国が地方の声を聞く時代になった。国が変わったと実感した今、市も大きく変わるときがきています。 そんな折、今月4日から毎週日曜日に市役所を一部開庁します。 市役所は、市民のすべての声の集まるところ。そして、その声を吟味し、形にしていく使命を負っています。 「県と市が国を動かした。」そんな自負のなかで、さらに今、市民のための市役所に向け、一歩前進します。 浦安市長 松崎秀樹 |