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大河ドラマ「天地人」がいよいよ佳境に入ってきました。青年武将らしい直江兼続と上杉景勝の主従の人間関係が、俳優の人選もピタリとはまり、見ていて飽きることがありません。私は、亡父や親族から、私の先祖は上杉謙信公とはライバルの武田信玄公に縁のある武将と聞いて育ち、幼心に川中島の決戦など、戦国時代によく思いを馳せたものでした。

ドラマではこのあと、関ヶ原の戦い・大坂夏の陣と続き、結果的に会津120万石から、家老兼続の所領地米沢30万石に大減封され、まさに上杉家存亡の危機に立たされます。

ここからが、ドラマもクライマックスを迎えるのだと思いますが、領地、知行地を大幅に減らされ、4分の1になった藩主景勝は、家老兼続に、家臣のリストラは一切せずに、兼続の所領米沢へ、速やかに国替えを進めるとともに苦労を分かち合おうと指示したといわれています。その苦労も筆舌に尽くせぬものがあったと推察しますが、上杉家に課せられた試練はこれでは止まらず、63年後4代綱勝が急死した際、後継の不手際のため、幕府より15万石に減封されました。何とこのときも半分に減封されたにもかかわらず、家臣団を一人も減らさなかったと伝えられています。

これらの難局に8代目の藩主の時代には、ついに領地返上を幕府に願い出ることを真剣に考えるまでに財政が追い込まれたとのことです。そのような絶望的な状況のなかで、9代目の藩主となったのが、江戸時代の名君の一人として称えられる19歳の上杉鷹山です。

上杉鷹山については、100年に一度の経済不況といわれる現在、改革の旗手として見直されているようですが、内村鑑三の「代表的日本人」のなかに記される5人の一人でもあり、これを読んだといわれるケネディ大統領が来日の折、最も尊敬する日本人として挙げたことで有名になりました。鷹山は、瀕死の危機にあえぐ米沢藩を、率先垂範し、倹約につとめ、殖産興業を発展させるなど、改革を推し進めました。そのようななかでも、鷹山は師の細井平洲の教えに沿って、「心から民をいつくしんだ」とも言われています。

天地人のいわれは、「天の時、地の利、人の和」からきていますが、孟子は、「天の時は、地の利にしかず、地の利は、人の和にしかず」とし、天の好機も、地の有利さも、人心の一致に及ばないとしています。

「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」の言葉が、上杉鷹山の言葉だと知ると、絶望的な危機を乗り切った人の言葉の重みを感じざるを得ません。

 

浦安市長 松崎秀樹
(広報うらやす第887号 2009年7月1日号に掲載)

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