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長崎市長を悼む

4月17日の夜、公務を終えて自宅に戻ったところ、NHKのテレビが、通常の番組を変更して長崎市からの中継で、長崎市の伊藤一長市長がピストルで撃たれ、救急車で搬送されている緊迫した画面が映し出されていました。

着替えるのも忘れ、しばしテレビにくぎづけになりました。

ほ んの一週間前、伊藤市長から市長室に電話があり、近々ゆっくり語り合いましょうと話したばかりでしたので、画面の現実を見ながらも「まさか」という思い と、あの人なら最悪の状況を乗り越えられるだろうと、少しでも楽観的に考えたいと希望的な観測を持ちながら、妻と祈るような思いで「危機を脱出」の一報を 待ち望んでいました。

しかし、祈りもむなしく日付が変わっても「心肺停止」の非情なテロップが繰り返し流れるなか、鬱々とした思いのまま床につきました。

残念なことに朝一番のテレビは、志半ばで亡くなった伊藤市長の非業の死を伝えていました。

浦安市と長崎市との関わりは、5年前の平成14年から、悲惨な原爆の実態を被爆体験者から、これからの時代を担う浦安市の子どもたちに、直接、語ってもらおうと、「被爆体験講話」を始めたのがきっかけです。

高齢化が進むなかで、今を逃したら被爆者の生の体験は聞けなくなるとの思いから、長崎市と財団法人長崎平和推進協会のご理解とご協力によって、毎年「原爆の語り部」の方々に浦安市に来ていただいています。

また、市内の公立中学校の生徒を「平和使節団」として、毎年、長崎に送り「ピース・フォーラム」に参加して、それぞれの中学校で原爆の悲惨さと、平和の尊さを再認識する教育の場とさせていただいています。

被爆60周年にあたった平成16年の「長崎平和祈念式典」には「平和使節団」と共に、私も初めて参加させていただき、原爆の語り部の皆さんとの懇親も深めさせていただきました。

このようなご縁から、伊藤市長とは、2年前の上京の折には、食事を共にして懇親を深めるなどしておりました。

平成14年の夏に、長崎市から送られた「平和の楠」が北部小学校の校庭ですくすくと育っています。この楠は、爆心地から約800メートルにある山王神社の被爆した楠の種から大事に育てられたものです。

被爆地長崎の平和にかける思いと、「浦、安かれ」と平和の祈りが込められた浦安の思いは同じと、二人で大いに盛り上がったことを思い出します。

帰らぬ人となってしまった伊藤一長長崎市長のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

浦安市長 松崎秀樹
(広報うらやす第835号 2007年5月1日号に掲載)

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